天使の鎮魂歌
5話 誘引
いじめられっ子の零は、自殺をするため、使われていない廃墟ビルの屋上にいる。
死を前にして怖くなった零がであったのは、一人の男。
その男も、どこか不思議な雰囲気で…。
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地雷要素
虐待 親近相姦 いじめ 横恋慕
「ゼロ君、帰んないでいいじゃん。」
唐突につぶやかれた言葉に服を着ていた手を止め振り返る。一瞬、カナタの顔を見るがすぐに足元へ視線をやる。
「帰らないと、家族が心配するから…。」
零はきょろきょろと視線をさまよわせながらカナタへ断りを入れる。カナタはその姿をきょとんと見つめる。
「家族は本当に心配するの?」
カナタは心底不思議でたまらないというような顔でそう問いかける。零は歯に衣着せず直接尋ねられたことにたじろいだ。そのままカナタは続ける。
「だってそれ、家族にやられてるでしょ?ご飯もしっかり食べれてないみたいだし。でもそれは君だけみたいだよね、弟くんは肉付きがいいし。」
学校に行っても同じでしょ?そう言ってじっと、零を見つめるその目には一切のあざけりや同情はない。疑問だけ。零はその瞳を見てタガが外れたように涙が止まらなくなる。その涙を袖でめちゃくちゃに拭くと、横からティッシュが出てきたのでそれを使ってごしごしと涙を拭く。視界がゆがみながらもカナタのほうへと視線を向けると変わらぬ表情でそこにいる。
「泣くほど辛いならここにいなよ。ここには君を殴るやつもいないんだから。」カナタはその瞳に少しの感情を載せて零を見つめる。その瞳を見つめていると、零は自分が人間じゃなくなることを許されているように感じる。考えることなく、そのまま「うん。」と口に出す。
その言葉を受けたカナタはにこりと笑いながら「うん。」と返した。
初めて、自分の意志で家に帰らずにいる。ずっと気持ちが急いている。帰らなければいけないのだ。弟が待っている、愛する弟が。愛してくれる弟が。落ち着かない、落ち着かない。そうこうして腰を上げると腰に巻き付いた腕が持ち主の太腿へ誘導する。
「だーめ。もう。ゼロ君もしつこいなぁ家族のことなんか忘れちゃいなよ。」
彼はそういうとゼロの肩口に顔をうずめる。そのまま深く息を吸われて零はぴくりと反応した。そのままカナタはつけっぱなしのテレビへ視線を向ける。バラエティー番組をお互いに見ているのに、どちらからも笑い声など聞こえない。ただ、じっと見つめるだけの時間が過ぎる。テーブルにはさっき食べたカップ麺の空がほっとかれている。
そうしてしばらくしていると、24時なんかとっくにすぎて深夜を回っていた。
「あの、もう寝ませんか?」
「んー。そっか。そうだね。寝るところは一つしかないから一緒に寝ようね。」にこにこと零の手で手遊びをしながら答えるカナタにホッとする。内心、またあの行為を求められるのではないかと思ったのだ。
つけっぱなしだったテレビも電気も消し、カナタは零の手を少し強い力で握り寝室までエスコートした。そうして二人でベッドに入り天井を見つめる。
「そういえばさ、ずっと考えてたんだ。君の新しい名前。・・・ぜろ、何て名前癪じゃない。ミチルってどう?ゼロ君にぴったりだと思うひびきがかわいいし。・・・うん。ぴったりだから今度からミチルって呼ぶね。」
カナタがそう一方的に話すとそのままふふ。と聞こえる。その声に零はなんと返せばいいのかわからなかった。
静かな部屋に布すれの音だけが響いている。
今日で家に帰らず3日目になる。最初は帰らなければいけないような気ばかりしてそわそわと落ち着かなかったが、今では落ち着いて座っていられるぐらいにはなった。カナタは料理をする質ではなかったらしくいつもカップ麺か外で買ったお惣菜だった。それでも1日3食、しっかりとしたご飯を食べられることが幸せだった。並んでテレビを眺めることやベッドに横になることが心地よく感じた。初日のあれ以降、身体を求められることもなかった。
今までとは考えられないほどの穏やかな生活。
「今日は出かけない?お気に入りのカフェに案内してあげる。・・・少し歩くけど、大丈夫?」そう言って首をかしげるカナタに「大丈夫。」と返す。敬語は嫌だと言われたのだ。最初はぎこちなかったが、それも今は心地よい関係になっている
町を歩きながら少しずつ色づき始めた木々を眺めたりしたが着く頃には景色にも飽きてまたうつむきがちに歩いていた。
からんころんと音を立てたドアは来店者を知らせる合図だ。カフェのマスターらしき人物がこちらを見る。
「おぉ!カナタじゃないか。最近見ないと思ってたんだ、連絡も返さねぇし。また乱れた食生活送ってるんじゃないだろうな!」
マスターが目を見開き、零を引き連れ店に入ってきたカナタへと話しかける。
「うん、いつも通り。」
「いつも通りってそりゃお前、乱れた食生活じゃないか。カップ麺だの総菜だの、栄養が偏るって言ってんだろうが。」
カナタは飄々とした様子でマスターの言葉を聞き流している。マスターはある程度カナタに声をかけてから零の存在に気づいたらしい。
「お、坊やはカナタの友達か?」と人好きするような笑顔をむけ声をかけてくる。
「あ、えと。」
今までに出会ったことのない人種に話しかけられた、自分と彼の関係は何なのだろう。いろいろな感情が胸につかえてうまく返事にならない。
「えと…。」そう言うと零はつい俯いてしまう。マスターは変わらぬ表情で零の言葉を待っている。
「この子は僕の友達。最近仲良くなったの。」
カナタは二人の間に入り込みにこやかに話す。その様子にマスターはあっけにとられたような表情をしてカナタを見つめる。すると唐突に声を上げて笑い出した。
「そうかそうか!おまえにもやっと友達ができたか!俺は安心したよ。」ほっとしたような表情をして二人を見つめるマスターに二人は落ち着かない気持ちになる。恥ずかしいような、嬉しいような、むず痒い感情が胸に広がる。
「じゃあ、今日は祝いとしてサンドイッチどれか一つずつサービスしてやる。どれがいい?」
とそういってメニューを見せる。カナタは「これ。」とメニューを指さし、カウンターに座る。零はどれにするか迷い、結局カナタと同じものにした。
しばらく待って出てきたサンドイッチはハムとチーズとトマトをこんがり焼けたクロワッサンの中心にはさんだもの。零が今まで見たどのサンドイッチの数倍も輝いて見えた。
「は…ぁ、すごい。」
眼を輝かせる零の横で、カナタは零を時折見つめながら黙々とサンドイッチを食べている。
「はあ、カナタ。この子を見習えよ。こんなにうれしそうに見つめて。こっちも腕が鳴るってもんだよ。」
マスターは大げさに肩をすくめて見せるが、カナタは「ふーん。」とさして興味もなさそうに呟き食べ終わった後もぼんやりと零を見つめ続ける。
しばらくしても零がサンドイッチを見つめ続けるので、マスターもさすがに不安になり「早く…、食べてくれねえか?」と零に声をかける。
「た、た、食べて、いいん、ですか?」
「…?何言ってんだ、当たり前だろ?」
そう言われた零は恐る恐るサンドイッチを手に取り、口に運ぶ。
ぱくり。と一口。
「んーーっ!」
食べた瞬間顔を綻ばせ歓声をあげた。「おいしい。おいしい。」と言いながら食べる零は二人の視線は意識になく夢中でサンドイッチを頬張っている。カナタはその姿をやはり何も言わすに見続けた。
サンドイッチを食べ終わって、店を出た二人はお互い何もしゃべらず家に帰る。家に帰りつくとカナタはつないだままの手を引きリビングのソファまで誘導する。自分が座ると零を膝に乗せそのままぎゅっ、と抱き着く。
「カナタ…?」
「ミチル、あったかいね…。」
カナタは穏やかにそう呟いた。零は「うん。」と一言だけつぶやいた。
温もりがこもって、鼓音が聞こえた